TNTD: 「英会話」という言葉に惑わされる

学校をでて社会人になって、必要に迫られてか、あるいはブームにのってか、英語の学習を再開するほとんどの人は「英会話」という言葉を頭のなかににしっかりと据えてから始めます。

  • 実はこれが結構、勘違いのもとです。会話なんだ、学校の勉強とは違うんだ、詰め込みの受験勉強とは違うんだ、などなど思っているうちにぼんやりとしたイージーなイメージが浮かんできます。
  • 「欧米人と生の会話を交わすことを繰り返せば、きっと(^-^)」なんてあま〜い考えに陥ってしまうんですね。英語学校の宣伝なんかもこの辺を助長している一つです。そしてぼんやりと2つの勘違いをおかしている人が結構出てきます。
  • 一つは「会話」偏重主義ですね。これは口が酸っぱくなるほど、そして皆さんの耳にたこができるほど言ってきたので詳述は避けますね。
  • もう一つが学校の勉強とは違うんだ、あんなに詰め込むほどの勉強はしなくても良いんだという勘違いを生むようです。
  • 途中で挫折する人のほとんどはこの辺の認識と現実とのギャップについていけずに、「全然うまくならないわ」と辞めてしまいます。逆にこの辺を「長丁場なのね。いくわよ!」と腹を据えてかかる人は続きます。学習の絶対量は受験に費やす労力と負けないぐらいのものを必要とされます。少なくとも仕事で使えるようなレベルでは間違いなくそうです。
  • と、ここまで書いてふと思いました。このようなことはこのTOEICのコーナーのもっと冒頭で書くべき内容だなと。ここまで辛抱強く読んで頂いている方々はおそらくそんなことはもう何年も前にご承知のレベルの方ばかりの様な気がします。
  • ある意味、いまの英語産業がその辺の弊害を生み出していると言っても私は過言ではないと思っています。